2004年(平成16年)6月に今までを振り返りながら追記してみました

H13年4月〜 障害児通園施設「なかよし学園」へ

  3月までの母子通園とは違い、初めて1人でバスに乗っての単独通園。希のクラスは
子供が9人、先生が3人という恵まれた環境でした。先生方はやはりその分野の専門の
人が集まっていて何にでも目や手が行き届き、申し分のない細かいご指導をいただきま
した。

 この頃の日々の連絡ノートを見てみると、家では「ウンチ」と「不眠」と「服のこだわり」の
問題を
抱えていました。ウンチは部屋のカーペットのいたるところでしていましたし、時に
手でつかんで投げたり壁に塗りつけたり、床に足で擦り付けたりということもやっていて希
の排泄のことで一番悩んだ時期でした。私もかなり消耗し、落ち込みの日々でしたが、と
にかく どこでしたとしてもすぐにトイレへ連れて行き、始末をするという事を徹底しました。

  睡眠のリズムがとれにくかったのは もっと小さい時からですが、夜中に起きて部屋中
大声を出して走り回ったりということもしばしばあり、次の日は学園で眠ってしまい活動で
きないということも多くありました。夜中の活動はウンチの問題があったので、ノンパパと
代わるがわる起きてお付き合いしたものでした。私も体が一番キツイ時期でした。

 それから夏になると、もともと肌が過敏ではありましたが突然スカートが嫌いになったか
と思うと すべての衣類を身につけるのが嫌になり、家ではスッポンポンんみなってしまう
日々に…
 休みの日でも、まさかスッポンポンでいさせるわけにはいかず、本人が納得するまで色
々な服を試みました。一度着ても見ていない所で脱いでしまい、又着せる…この繰り返し
でしたが一応オムツの上にオーバーパンツを1枚はいて、上は少し長めのAラインのTシ
ャツで足にかからない服、という線でどうにか落ち着きました。このことも根気のいる作業
で、神経が擦り減りました。この時から希の服選びには、いつも気を使うようになりました。

 たくさんの問題はありましたが、園でのやりとりのおかげで 希にとって一番の課題だっ
た人対人の関わり… その中でも大人との関わり方を、先生方とのじっくり・ゆっくりした
関係の中で希は体得していったと思います。  園での生活全般に慣れてくると、私は希
に様々な生活年齢的な自立を期待するようになってきました。

 自分で靴もはけない希…。なかよし学園でたくさんの大人に囲まれて様々に整えてもら
っているこの環境から、はたして希は翌々年には地域の小学校へ上がれるのだろうか…
私には、この恵まれた環境から いきなり何もできない希を学校という厳しい環境へ放り
出すことは、とても考えられませんでした。
 そこで、あえて私は家庭で取り組める「ポーテージ療育」を試みてみようと決意しました。
自閉症の子供にはあまり勧められていない療育方法ではありましたが、“どんな子供にも
応用は可能”という療育スタイルだったので、希なりにアレンジしてみようという思いで
挑みました。
 正直言って希を誘って何かの課題をやらせることは無理でしたが、生活の中で様々な工
夫をこらして段階的に取り組んでいく方法は希にとって、とてもスムーズに取り入れること
ができました。特に伸びたのは身辺自立の部分でした。着替えはもちろん、靴や靴下の着
脱などは この時まですべての介助が必要でしたが、4〜5ヶ月たつ頃には ほとんど介助
なしでボタン等のないものであれば靴や靴下も含め、すべて自分で着脱できるようになりま
した。
 この身辺自立の著しい伸びは、希の可能性を強く感じるとともに次の段階へステップアッ
プする強力な味方となりました。