2才

下の子が産まれた時に、希の異変が決定的なものになりました
お産の為、夫の実家に5日間あずけている間に 希は以前よりも
無表情になりました。そして、私と再会しても私を忘れてしまった
かのよう。以前から人の顔をあまり見ない子でしたが、全く目を
合わせようとしないのです。さらに、発声すらしなくなってしまい
ました。ただ事ではない希の変化に危機感を感じながらも、産後
の体で何も出来ない自分に苛立ちを感じていました。


2才1ヶ月

3週間夫の実家でお世話になり、家に戻るとすぐに泉区役所の
保健福祉課に相談のTELを入れました。そして下の子が産まれた
ばかりということを考慮して下さって、保健婦さんが訪問して下さる
事になりました。希はこの、新しく加わった家族に何の興味も示しま
せんでした。ただ泣き声が聞こえてくると耳をふさぐ以外には。


2才2ヶ月

平成11年5月に、希の様子を見る為に保健婦さんが訪問
してくださいました。私は、この時期はこういう態度を示す
子もいるんですよ、と言ってもらいたい。それだけを願って
いたように思います。でも頂いた返事は、近いうちにもう一度
ことばの先生と一緒に訪問したい、というものでした…


2才3ヶ月

ことばの先生にも訪問して頂いて、お話を聞いたところ
希のことばの力は1才前後、ということでした。心配あ
りませんよ、という言葉を待ちましたが、「区役所でやっ
ている言葉の教室へ通ってみませんか?」という返事が
返ってきました。不安は解消されるどころか、どんどん
大きくなっていきます。泉区役所のことばの教室”風の子
教室”へ通い始めた初日、私は担当の保健婦さんに
不安をぶつけました。「希は自閉症ではないのですか?」
と。そのころには自分なりに本やインターネット から
情報を集め、もしやもしやと疑っていたので、その疑いを
晴らすために、否定してほしかったのです。そうしたら
「私も言葉の先生も、心配に思っている部分があるんです
児童相談所へ行ってみてはどうでしょうか。」というお返事
顔から血の気が引く思いでした。


2才4ヶ月

児童相談所で希を観察してもらい相談した結果、そこで開いている親子教室”こんぺとう”に通うことになりました。ところがこの頃になると希の[パニック]が多くなり、どう接していいのかわからず母としての自信もすっかり無くしていました。そんな中で隔週1回だけ”こんぺいとう”に通うことが、希にも私にも意味のないものに思えるのでした。


2才5ヶ月

ちょっとしたこと、例えばいつもの道より1本手前を横切る、それだけで自分の顔をかきむしり大暴れ。いつもと違う場所(病院だったりします)ではあっちへ行ったりこっちへ来たり、そして待つことができず、診察室ではパニック・・・。暴走するので買い物もほとんどできません。この頃になると力も強い!パニックを起こしている希を抱きかかえて家に着く頃には、母子ともに
ヘトヘト。
目を離したらどこへ行くかわからない娘を追いかけ、高い所へ登れば危ないと叱り、それも1度や2度じゃない。へたをすると一日中。しかも連日。そして、ほったらかしにされている下の子の泣き声にハッとしてただただ涙があふれ、このストレスがピークに達した時、思ったのでした。希を施設に入れてもらおう、と。


2才6ヶ月

児童相談所で自分の気持ちを聞いてもらい、すぐにでも母子通園施設に通うことを進められ
平成11年9月から仙台市宮城野区鶴ヶ谷にある”あおぞらホーム”に通い始めました。
まるで藁をもすがる気持ちで・・・!