自閉症について


WHOの定義

 自閉症は生後ただちに、または遅くとも生後30ヶ月以前に現れ、視覚および聴覚的刺激に
対する反応が異常で、話し言葉の理解に重篤な障害がある。
 言語発達は遅れ、発達上では、反響言語、代名詞反転、未熟な文法的構文抽象語を用いる
ことが困難などの特徴があり、人との交流に言語ならびにゼスチュアによる 話し言葉を用いる
能力に障害がある。視線を合わせない、社会性および共同遊びに障害があるなどを含む社会
的人間関係成立の障害は5歳以前にもっとも著明である。
 異常な習慣、変化に対する抵抗、 妙な物体に対する愛着、常同的な遊びなどを含む
儀式的行動を示す。抽象的または象徴的思考の能力や想像的な遊びの能力は弱い。知能は
最重度から正常あるいは正常以上の範囲にわたっている。
 通常、象徴的あるいは話し言葉的能力を要することよりも、機械的記憶または視覚空間的技
能を要する課題において勝っている。


 ・・・以下は私が希を観察し、私なりに自閉症のことを考えたり、感じたりした内容にな
っています。ですので当然、同じ障害を持ったお子さんであっても当てはまらない部分が
たくさんあり、意見の相違も多々あるかと思います。その点をどうか、ご了承下さい。

 自閉症について、近年は沢山の本が出回り、NHKなどでも特集が組まれたりするよう
になりました。つい最近でもテレビドラマ化されるなど、情報が入り易くなっているのでは
ないでしょうか。自閉症の子供は外見を見ただけではそれと気付いてもらえない場合が多く、独特な物事への反応や言葉の言い回しが、その子の強い個性や風変わりな特性としてとらえられてきたきたことも、今までは多かったのではないかと思います。そして成長する中で、一部の人達は才能を開花させて世間で認められたり、周囲の協力や本人
の努力によって、大きな問題もなく社会生活できている人達がいるとするならば、自閉症
ってどんな病気?あるいはどんな障害?と表現するよりも自閉症の人って、どういう特徴
をもっているの?と表現した方が的確なのではないかと感じるのです。(できれば自閉症
という誤解をまねくような呼び方こそ変えて欲しいなぁと私は思ったりするのですが。)
 しかし定義にあるように、知的障害が最重度から正常以上と範囲が非常に広いことか
ら、成人してからの自立が難しい場合も多いし、通常の生活が出来たとしても、様々な問
題を抱えているという点で病気、障害と呼ばざるを得ないのかな?と思ったりもします。

 それでは、"自閉症の人"とは、どういう人の事をいうのでしょうか。定義にもありますが
私が今まで読んだ数少ない本や、専門医から聞いた話しによりますと、以下の三点が自
閉症の診断基準になっているようです。

 @社会的相互行動の障害(人と関われない)
 Aコミュニケーションの障害(ことばの問題)
 B限局された活動と興味範囲(こだわりがある)

希が医師に自閉症と診断された時も、図で説明され、
この3つを併せ持っていると、自閉症 という診断を下しています、と説明されたのを
記憶しています。
 普通、自閉症の診断は3才を過ぎないと下さないそうなのですが、私たちの出会ったK
医師は、2才8ヶ月の希をそう診断して下さいました。先生はこの時、このようにおっしゃ
っていました。「自閉症のお子さんは、接し方を親が変えてあげないと、日常生活そのも
のがむずかしいです。パニックは、出来る限り少ない方が良い。ですから、なるべく早い
うちから親御さんに知ってもらって、希ちゃんが生活しやすいような接し方をしてあげて欲
しいのです。早いとは思いましたが、あえて診断を下しました。」以降、何かあればいつも
K医師にお世話になっています。あの時に診断して下さった事に深く感謝しています。何
ヶ月だって、何日だって、早い方が良いと思うのです。もちろん希に合った接し方を見つ
け、環境を整えることは簡単なことではなく、きっと一生かかってやっていくことだと思い
ます。でも、親が足踏みしている間にも子供は成長していて、苦痛な生活を強いられ不
快な記憶が残って行くとしたら?(・・・実際に私はそれまで、希のパニックに戸惑うばかり
で、接し方を変えようとか工夫してみようといった発想は持ち合わせていませんでした。)
そんなことを考えると、あの時期に診断して頂いて、本当に良かったと思っています。

 上記の3つの問題と重複するかもしれませんが、私が今一番問題だなぁと思っている
点が、あと3つ程あります。専門書では聞いた事の無い専門用語が使われ良く解らなか
ったりするので、私なりに考えてみました。

 
1つはある事柄とある事柄の関連性が解らないということです。言い替えれば物事の流
れとか、筋道の理解がとても困難、ということでしょうか。そのせいか、希は、勘違いから
起こすパニックがとても多いように思います。例えば下の子は、私が台所で動き出すとも
うすぐご飯かな、とわかるし、テーブルを拭いたり、椅子の準備をしたり、で、もう食事の
時間とわかります。ところが以前の希は、これらの段取りと食事は結びつきませんでした
私の動きを見ていても、なんの為の動きかがわからないのでしょう。だからすぐに食事を
出してくれない私に怒り、わずかな時間も待てずにパニック状態になります。目の前に自
分のお皿とスプーンが来て、やっと食事とわかるのです。
 でも、最近になって少し待てるようになって来ました。それはたぶん、すべてバラバラ
だった事柄が、2つ3つ組み合わせることが出来るようになったからではないかと
思います。今ではお腹が空くと冷蔵庫の前へ行き、電子レンジの前へ行き、ふりかけの
入った引き出しの前へ行く、という動きで私に知らせるようになりました。(だいたい私の
食事の準備の動きはこんなものです。)そうすれば食事にありつける事が解ったのでしょ
う。味噌汁のおかわりが欲しければ、お椀を持ってガス台の前に行き、待つ事も覚えまし
た。 ですが私がそれ以外の動き、例えば別の部屋においてある食材を取ってくる為に
台所から出たりということをすると、やはり混乱します。少しずつ、希は物のつながりとい
う枝を、増やして行っているのだと思います。


 
2つめは、私たちと希とでは時間の感覚が違うのではないかと思わせる点です。
希は砂遊びが好きなのですが、放っておくと、1時間でも2時間でもやっていたりします。
私が、もうこんなに遊んだのだからいいだろうと、家に連れて帰ろうものなら
間違いなくパニックを起こします。希にとっては、気が済んだ時が終わりの時間なのでし
ょう。シャボン玉もそうです。ずーっと長い間、大人に吹かせて見ています。母子通園施
設のY先生が言うには、市販のシャボン玉の容器1つ分を吹き終わる頃が希の終わりの
時間みたいなのです。時間じゃなくて、量なんだろうね・・・とY先生と話しました。それに
希が周囲の流れについて行けてないな、という事はよく感じている所で、まわりはもう終
わる、という頃その事に興味を持ち始めたりします。もっともっと1日がゆっくりだったら
もう少し適応できるかもしれない、と思うのです。


 
3つめは、日常活動で、全体に気を配りながらそのつど大切な事に注意を向けて行く
ということがうまく出来ないという点です。そのせいなのか、希はとても危険です。むこう
に興味の対象を見つければ、何を踏もうがどこにぶつかろうが、おかまいなしという所が
あります。痛みに対して鈍感だったりするので、ぶつけてもあまり痛くないらしい?です。
(後で青あざができていて親がビックリということも・・・)自分からぶつかって相手の子を
泣かしているのに、全く気付かずに走り抜けて行ったりします。それに、その場に合った
適切な行動をとるということも非常に難しいです。普通の子供なら親や先生に椅子に座
るよう促されれば少しの間座っていられます。座らなければいけないという雰囲気も感じ
とれます。
今年の四月の母子通園施設の入園式の時、希は一度も椅子に座ることなく、来賓のお
客様の膝の上に乗って絵本をめくっていました。何か(お集まりなど)をしていても、常に
あっちへ行ったり、こっちへ来たりと落ち着かず周囲が気になって仕方ないのも、この部
分が欠けているせいなのかな、と思ったりします。


 まだ希は3才8ヶ月で、まだまだこれから、色々な面が出てくるのではないかと
思います。今後も気付いた事や感じた事などを追加していきたいと思っています。


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